フリーになった二十代の頃、ありがたかったこと

20140119

こんにちは、二人三脚のホームページ制作会社、ニゴロデザインの高橋です。

庄内、寒いですね。

 

昨年から仕事は詰まり気味なんですが、その合間にいろいろと考えこむことがあり、気づくと過去を振り返っています。特に二十代のことを思い出すことが多いですね。

過去を思い出しながら、もう戻れない・やり直しができない感覚と、楽しかった記憶がよみがえります。

お世話になった人の顔も思い浮かぶのですが、その人たちにお礼をきちんと言えていたのか、思い出せません。

フリーになった二十代半ばの頃

東京で仕事をしていた二十代半ばごろ、後先考えず会社を辞めてフリーになりました。

幸いなことに某メーカーにゲームの企画が拾われ、メーカーと個人契約をしてもらうことになり、とてもラッキーでした。

仲間に恵まれ、仕事はかなり楽しかったです。

でも、フリー(=個人事業主)になってから、なんでも自分でやらないといけないことを知りました。

 

例えばお金の面。

会社員の頃は、給料日にお金は自動的に自分の口座に振り込まれているものだったので、働いたら毎月お金が入ってくるのが当然だと思っていました。

フリーになると請求書を出さなければ入ってこないんです。そんなことも知らず、フリーになっていました。

請求書を出して、相手の締日からさらに数日~数ヶ月後(会社によって違います)にお金が支払われます。

締日に遅れたら、入金がさらに1ヶ月遅れますし、仕事が遅れたら請求すらできません。

制作は楽しいんですが、それに没頭すると請求書を出し忘れたり、請求するための条件がポロっと抜け落ちたりするんです。

予定していたお金が一ヶ月入ってこないと、生活は苦しくなります。

いつも請求書を出すのが遅れていたのに、受け付けてくれた経理の女性

当時、仕事を契約していたメーカーの経理の女性が、

「ねえ、高橋君、○月分の請求書出してないでしょ?」と、締日を過ぎた数日後に声をかけてくれるんです。

私「あ!すいません、忘れてました!」

「いいよ、今出しなよ、間に合うから。1ヶ月延びてよければ、それでもいいけど」と言って、締日以降でも受け付けてくれるんです。

遅れても受け付けてくれる・・・ということに甘えて、ついつい毎月のように遅れていました。

しかも、自分の請求書にもかかわらず、その会社のプリンターを借りて印刷し、ハンコを押して「すいません、これでお願いします!」とか言って、請求書を提出してました。

ダメなヤツです。

そのメーカーは規模が大きいことと、もの作り系の会社によくあるユルい雰囲気があって、いちいち細かいことは言わない社風でした。それにどっぷり自分が甘えていたんだと思います。

当時の自分に、その経理の女性やメーカーに対して感謝の気持ちを持っていたのか?と聞いてみたいです。

たぶん、たいして感謝してなかったな・・・と。

今、自分が請求書をもらう立場になって、いろいろと分かってきます。

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ありがとうと言えてなかったような・・・

二十代半ばの頃は、『ゲームを作りたいだけ』の自分が存在するだけでした。周りの人との関係性とか、将来をろくに考えてはいなくて、その場その場だけを見ていたような気がします。

今、思い浮かべてみて、いろんな人のお世話になっていました。

  • その会社を辞めた後も飲みに誘ってくれた、元上司・社長
  • 連日飲みにいってゲームを語りあったメーカーのディレクター
  • ゲームメーカーの仕事が無くなった後に新しいチャンスをくれた人
  • フットサルで、仕事以外の友だちを増やすきっかけをくれた人
  • 生活に困ったときにお金を貸してくれた友だち
  • 酒田-東京の仕事をしていたとき何ヶ月も泊めてくれた友だち

といった方々。

ちゃんと、お礼言えてたかなあ・・・。

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ついに、四十歳になります

四十歳になります。

自分がやりたいことはもちろんまだまだありますが、地元で若い人のためになることもしてあげられたら、自分に今まで良くしてくれた人への恩返しになるかもしれません。

なんとか、今年もこの庄内で仕事をやっていきたいです。

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