こんにちは、二人三脚のホームページ制作会社、
ニゴロデザインの高橋です。
今日、「山形に力士がやってくる…」
というテレビのCMをみて、ふと、
山形県酒田市出身力士の若瀬川を思い出しました。
若瀬川は酒田市出身の力士。
最高位は前頭筆頭です。
いつもムスっとした表情と背中の毛が特徴です。
自分が中学~高校の頃、
夕方の相撲中継で若瀬川が登場すると、
「山形県酒田市出身」
と、テレビから聞こえてくるのを喜んだものでした。
同じ山形の郷土力士(尾花沢)である、
琴ノ若とも時代はかぶってます。
イケメンで人気があった琴ノ若とは対照的な雰囲気で、
そこがまた若瀬川の魅力と思っています。
若瀬川は引退後に大阪でラーメン店を経営しましたが
体調を崩し閉店。
その後福岡でビルの管理人をしていたそうですが、
2011年10月に49歳の若さで亡くなられたそうです。
全く知りませんでした。
子どもの頃の相撲中継の思い出だったので
寂しい気持ちです。
↑ 「郵便局員のごった煮よもやまブログ」
このブログの方が、自分の気持ちを表してくれています。
自分自身、この酒田市出身力士のその後を
酒田市にいながら知らなかったからです。
そして、こちらもブログで見つけた、良い話。
昭和の終わり頃だったか、平成の始まりの頃だったか。好きだった相撲を観ていたら、7日目まで休場していた若瀬川という力士が8日目の土俵に上がってました。
当時、生意気な小学校の中学年だった私は即座に言ったのです。「この人、馬鹿だねぇ。8日目から出たら全勝でやっと勝ち越し。黙って休場したままで良かったのに」。
そしたら、おふくろが予想外のことを言ったのです。「それがわかってても、8日目から出てくるのは偉いと思わないの?」。
あれは「はー。なるほど。そういう見方があったか」。私の人生にはこの「勇気を持って恥かいても前に行く、という気持ちがなかったな」と、痛感した瞬間でした。
先日、若瀬川についてちらりと引き合いに出しましたが、すでに故人とのこと。本当に残念です。生涯を見る限りでも「前頭筆頭で7休から出てきた勇気」を角界は評価すべきだったのではないか。なんて思ったりします。
↑ YIELD a DEEP BEAUTY.「若瀬川 7休」の思い出
そういえばそんなこともあったような気がします。
場所が始まってから7休して8日目から登場し、
終盤まで勝てなかったんですよね。
で、やっと終わりのほうで1勝して
観客から健闘を称えられた…
おぼろげながら思い出しました。
自分の子どもの頃の思い出が、
インターネットによってまた掘り起こされる。
若瀬川のことでは、懐かしくも寂しくなりました。
若瀬川の勇姿が40秒すぎから見られます。