子どもの頃、ゲームを作るのもゲームみたいなものだった

ずっとプログラムの仕事をしてきましたが、そのきっかけは、母親がつくってくれました。

小5のときに、普通の家庭にファミコンが普及しだして、自分も欲しくて欲しくてたまらなかったんですが、うちにはなくて。

仕方ないので、ファミコンを持っている友達の家で遊ばせてもらうんですが、「テレビの中のカラフルなキャラクターを、手元のコントローラーで自由に動かせる」ということに、とにかく興奮してしびれてました。

でも、毎日遊びに行くわけにもいかないし、自分の好きなだけ遊べないので、「そろそろ、うちにもファミコン買ってくれ」と母親に相談(おねだり)したら、ファミコンはダメだが、パソコンはオーケーという回答。

PTAの集まりで「ファミコンはゲームしかできないが、パソコンは勉強にも使えるらしい」と聞いたからのようです。

なんだかわからないけど、一歩前進した気分です。

当時、クラスで一番頭の良い友達(パソコンを持っている)に聞いたところ、パソコンに、「ベーマガ」という雑誌に載っている、「プログラム」なるものを入力して、「RUN」というコマンドをうちこむと、タダでゲームが遊べるという、夢のような話が返ってきました。

「ゲームで遊びたいなら、自分で作ればいい」
ということのようです。


CASIO PV-16 Z80CPU 16キロバイトメモリ

というわけで、(お小遣いを減らして)手に入れたのが、当時29,800円で発売されヒットしたカシオのパソコン。マイクロソフトのライセンスで日本の各メーカーで出していたMSXという規格です。

今振り返ってみると、アイソレーションキーボードだったんですよね、これ。

そして、近所の駄菓子屋さんに、プログラム投稿雑誌「ベーマガ」が毎月届くように注文し、発売日に買っては、掲載されているプログラムを入力して遊ぶ日々でした。

製品として、メーカー(大人たち)が作って販売しているファミコンソフトと比べれば、雑誌に掲載された、無料で遊べるゲームなんて、しょぼいものでしたが、ものすごい熱中しました。

作ること自体が、パズルゲームのような感じでしたね。

ゲームの攻略本を買うかわりに、プログラミングの雑誌を買い、ゲームの完成を目指す毎日です。ベーマガは小学6年生~高校3年まで、ずっと買い続けました。

寝ても覚めてもゲームのことばかり頭にうかぶので、学校の成績は下がるし、テレビ画面の小さなプログラム文字をずっと見続けるので、視力も一気に下がりましたが、そんなのおかまいなしでした。親はさすがに心配だったかも。

プログラムのおもしろさに気づくきっかけをくれた母親に感謝です。

買い続けたベーマガですが、就職してしばらくしてから実家に帰ったら、ぜんぶ母親に捨てられていました orz

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