酒田出身力士「若瀬川」の引退後

20141020

こんにちは、二人三脚のホームページ制作会社、
ニゴロデザインの高橋です。

今日、「山形に力士がやってくる…」

というテレビのCMをみて、ふと、
山形県酒田市出身力士の若瀬川を思い出しました。

20141020_1

若瀬川は酒田市出身の力士。
最高位は前頭筆頭です。

いつもムスっとした表情と背中の毛が特徴です。

自分が中学~高校の頃、
夕方の相撲中継で若瀬川が登場すると、

「山形県酒田市出身」

と、テレビから聞こえてくるのを喜んだものでした。

同じ山形の郷土力士(尾花沢)である、
琴ノ若とも時代はかぶってます。

イケメンで人気があった琴ノ若とは対照的な雰囲気で、
そこがまた若瀬川の魅力と思っています。

若瀬川は引退後に大阪でラーメン店を経営しましたが
体調を崩し閉店。

その後福岡でビルの管理人をしていたそうですが、
2011年10月に49歳の若さで亡くなられたそうです。

全く知りませんでした。

子どもの頃の相撲中継の思い出だったので
寂しい気持ちです。

若瀬川の故郷は山形なのだがそことは正反対の福岡で亡くなられた事に何か悲しいものを感じた。

↑ 「郵便局員のごった煮よもやまブログ」

このブログの方が、自分の気持ちを表してくれています。

自分自身、この酒田市出身力士のその後を
酒田市にいながら知らなかったからです。

 

そして、こちらもブログで見つけた、良い話。

昭和の終わり頃だったか、平成の始まりの頃だったか。好きだった相撲を観ていたら、7日目まで休場していた若瀬川という力士が8日目の土俵に上がってました。

当時、生意気な小学校の中学年だった私は即座に言ったのです。「この人、馬鹿だねぇ。8日目から出たら全勝でやっと勝ち越し。黙って休場したままで良かったのに」。

そしたら、おふくろが予想外のことを言ったのです。「それがわかってても、8日目から出てくるのは偉いと思わないの?」。

あれは「はー。なるほど。そういう見方があったか」。私の人生にはこの「勇気を持って恥かいても前に行く、という気持ちがなかったな」と、痛感した瞬間でした。

先日、若瀬川についてちらりと引き合いに出しましたが、すでに故人とのこと。本当に残念です。生涯を見る限りでも「前頭筆頭で7休から出てきた勇気」を角界は評価すべきだったのではないか。なんて思ったりします。

↑ YIELD a DEEP BEAUTY.「若瀬川 7休」の思い出

そういえばそんなこともあったような気がします。

場所が始まってから7休して8日目から登場し、
終盤まで勝てなかったんですよね。

で、やっと終わりのほうで1勝して
観客から健闘を称えられた…

おぼろげながら思い出しました。

自分の子どもの頃の思い出が、
インターネットによってまた掘り起こされる。

若瀬川のことでは、懐かしくも寂しくなりました。

若瀬川の勇姿が40秒すぎから見られます。

↓酒田・鶴岡・庄内のブログはこちらからも↓

にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 鶴岡情報へ にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 酒田情報へ にほんブログ村 地域生活(街) 東北ブログ 庄内情報へ
鶴岡情報酒田情報庄内情報